社長ブログ

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笑うしかない

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強い精神は気持ちを支配できる
弱い精神は気持ちに支配される
きっとそういうことなのですね。

朝がこない夜は無い
春がこない冬も無い
待っていたら必ず訪れます
できたら待つ間に訪れた時の準備ができたらいいですね。

ストレスと癌について、乳ガンを除いてほかのガンはストレスから来るようです。ガンの元は誰でもが持っているのですが免疫で抑えているようです。その免疫を弱めるのがストレスです。免疫が弱くなるとガンが活発になるので、免疫が落ちないようにするにはストレスを溜めないことです。
笑うことがいいですね
こんな時代ですから、ほんと笑うしかないですね。
あきれた笑いかな。どうしようもない笑いかな。

今 散歩にはまっています。歩くことが楽しい(^^)歩き仲間が増加中です。なんでも楽しいことって継続していたら上達するものですね。スコアはあとからついてくるようです。考えてもダメなものは考えない。今の時代に必要なのは健康な体力のような気がします。(^^) ストレスを発散して歩くことから健康を取り戻してきたような感じがします。今はこれでいいように思います(^^)
石川遼のサングラスを調べてみたところSWANSと契約したらしいのでもうオークリーは使っていないと思います。2008年のニューモデルで今までの偏光グラスのハーフジャケットより少し角張って大きくなっています。これが気になっています。オークリーをかけてみると、まつ毛が当たったのでスワンズをかけて見たい。ん?顔が平面?
(^^)m(__)m(^_-)(*_*)(>_<)(*^^*)

  • 2008年12月22日(月)00時12分

人の器

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調子が良い時には、事態が悪くなることなんか忘れてしまう
よい時に、自然に状態の良い考え方、過ごしかたを人は学習する
その中での感覚は修正できない、言わば習慣性の嗜好品のように人に沁みこむ
自然の摂理は上がった物は下がり、下がった物は上がる循環を繰り返す
その時に誰もが事態の変化を受けとめられなくなる
受けとめることは理解できるのだけど適応を拒否する
日頃からどんな状態になってもかまわない適応性を身につけるか
または人に沁みこむ習慣を拒否できる強い意思を持つことが必要となってくる
心を安定させる学問が必要となる
出来ればそんな学問なんて必要としない世界で生活ができれば、それが望ましい
悲しいかな弱い私たちには宗教に頼るか、心を安定させる学問に頼るかの選択を迫られる
こんな世界と無縁に自然と同化して生きるすべは、すでに持ち合わせていない
だから揺ぎ無い気持ちが大切になる
幸せの近道は
姑息な、まにあわせに目をむけず
まっすぐに清楚に歩むこと
思いつくと、そこにたどり着く
変化しないことを約束できるものは何も無い
その中で最小限の変化を迎えようとすると最大限の努力が必要となってくる
それでも過ぎ去ってみれば、その人なりの予め決められたモノしか与えられない
人の器以上のものは入れることが出来ないのか、与えられないのかの決まり事があるようです
人の器って誰が決めたのだろう
やはりあの人なのだろうか
              紫雲 英児


夕方の来社 長話 人のイメージ 固定観念 意外と本当の姿はちがうようです。最初の出会ったイメージが強くて先入観が出来ている それが意外とちがうようです。誰でも自分のキャラはあると思いますが 適正な中にあるためには相手がそう思っているだろうと思える人格を演じていることってありませんか(^^) 本当はちがうのに

昨日、コンペたけべの森GC48+48、96 9/51位ドラコン1
日曜日はいつもの散歩T,G,Yさん

  • 2008年12月21日(日)00時12分

ブラインドコーナー

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第一コーナーに続く第2コーナー、ブラインドコーナーの130Rアールにトップスピードのまま、アクセルを暖めることなく223kmで突っ込んで行く。
何の躊躇(ちゅうちょ)もためらいもなく、そのコーナーが好きであるという。
(三重県の鈴鹿サーキットにて)
常識外れた体力と精神力でポールポジションからスタートすることもある。(FCJの第10戦)スタートで佐藤公哉選手にかわされた。なかなかオーバーテイクできない。今年1年目で結果は2位、それでも、とても優秀である。
彼が16歳の時には、カートで初優勝をしている。「1周目で前に出ようと思っていた」という。
その彼も今年19歳、フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)で学び、フォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)にいる。
彼の名前は蒲生 尚弥(Naoya Gamou) 1989年11月11日生まれ 岡山倉敷出身
来年もこのカテゴリーにいれば輝いてくるにちがいないと信じている。
FTRSに残ることもマレなことなのに、いきなり上位をねらえる潜在的なポテンシャルはそうとうに高いと思う。フォーミュラトヨタでは特待生だから経費は無料だが、一度の転戦で負担はゆうに100万はかかる。メカニックも必要となり一年間に消耗する経済的エネルギーは相当なものだと考えられる。
その彼も自分の夢をあきらめたことが一度だけあったようです。
高校を卒業して親に就職をすると言った時期があったと聞く。廻りに説得されて、気持ちを持ち直して、今もレーシングドライバーを続けている。
彼が就職を望んだ理由は、親に出してもらうレーシングドライバーの経済的な負担を考えてのことであったようです。その話を聞いて、なんて心根の優しい子なのだろうと思わず目頭が熱くなったのを覚えています。そして天性の素質を彼に見たような気がしました。今までの経歴と合わせてみると彼がすぐれているのは純粋な心にあるように思えます。少しの気の迷いも無い状態でなければブラインドコーナーの130Rアールにトップスピードのまま突っ込んで行くことなど出来ないように思います。普通の人を超えた世界がそこにあるようです。人に感動を与える人は何かがちがうようです。

  • 2008年12月20日(土)00時12分

星の広場( エトワール広場)

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季節の星座はその季節にしか見えないわけではありません。冬の星座も時間をかえれば季節が外れても見ることはできます。季節の星座は星が見易い時間帯の午後八時から零時くらいの間に南の方角に見える星座を言います。「カシオペアが石英の粉のように光っています」って詩の一節だけが思い出されます。高村光太郎のポエムなのか定かではありませんが心に残る言葉があります。懐かしくその時の空気と一緒に思い出されることってありませんか?(^^) 夜中に窓を開けてタバコに火をつけます。凛とした空気の中で向かいの土手を行く車を、ぼーって眺めます。星を見ていたのが、知らない間に車の軌跡を追いかけています。昔、パリのエトワール(凱旋門)の放射線状に伸びた12の道路を行き交う車はテールランプの赤とスモールランプの黄色の二色で、明るいベッドライトの白色は無かったと記憶しています。でも今はベッドライトの白色は有ると思います。美観をそこねるからライトは点けないと聞きました。アンカレッジ経由の遠い過去です。なんでそんなこと思い出したのかとおもったら この冷たい凛とした空気はあの時の冷たさと同じようです。でも景色は田舎の土手の風景です。二本目のタバコに火をつけて車の赤い色のテールランプを眺めます。地上のペルセウスと天空のペルセウスです。
いつしか午前2時です。
ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第二番』が聞こえてきます。

追って書き
パリの凱旋門を中心の道路が12本、放射状に広がっています。その形が光り輝く星のように見えることから、星の広場(エトワール広場)と呼ばれています。
カシオペア座はダブリュWになった星座といったほうが分かりやすいかな、ほぼ、いつでも見られる星座です。冬の星座です。ペルセウス座流星群 流れ星の意味で使った。

  • 2008年12月19日(金)00時12分

余命10年

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今日、友達のように思ってくれているGさんが、来社してくれました。その前に電話があったのですが、「今、人間ドッグの結果を聞いた、余命10年と言われた」少しショックを隠せなかったようです。やはり医者から寿命を宣告されるのは、重いものがあるようです。友達と言っても7歳年上です。60歳です。何故か友達感覚です。いつだったか私が53歳だと言ったら、「そんなに若かったんか」と言われました。どうなのでしょう?
来社されて、「このままいくと肝硬変で余命10年らしい」とGさんが言う。「よかったなあ、余命が分かって」と私は答えました。「だって後10年も生きられるお墨付きをもらっていいなあ」って言いました。「きっと、医者は最低10年保障ってことで、それ以上を約束してくれたんだから喜ばなきゃ」って続けました。「10年一昔って言っていたが、今は時代の流れが速いので5年一昔になるから弐昔(ふたむかし)も生きられる」って話すと、妙に納得して、Gさんは「やり残したことも少ないので未練もない、10年も生きられれば十分だ」と答えた。その後続けて「今日からお酒を控えて休肝日を一週間に2日取る」と言った。私はそれまでの歯切れの良さと健康志向が結びつかなかった。それも「土、日に禁酒は寂しいから月、火曜日にする」と言った。せつない話題がやけに明るく感じたのは何故?

  • 2008年12月18日(木)00時12分

レッドオーシャン(赤い海)

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競争のある現状の商業世界を「レッド・オーシャン(赤い海)」
競争のないまだ未知数の商業世界を「ブルー・オーシャン(青い海)」
と色分けで、企業をみた論文があります。勿論、競争の無いブルー・オーシャンの中で仕事ができることが望ましいのは分かっていますが、一般的には「レッド・オーシャン(赤い海)」の中で日々を戦っているのが普通です。
勝つには3つの基本戦略:「コスト戦略」、「差別化」、「集中戦略」に分類されます。「集中戦略」はコンポジットで考えることが多いので省略。
重要なのは「コスト戦略」、「差別化戦略」のどちらかをはっきりさせること。
はっきりしない場合は、「死のV字の谷」に陥る。「スタック・イン・ザ・ミドル(Stuck in the middle)」
企業は成長期を超え、成熟期から衰退期に向かいます。限られたマーケットを取り合うことになる。(MR=MC)まで。
工場が操業中の企業は、市場価格が操業停止価格を上回っている限り、市場価格と限界費用が等しくなる生産量を選択する。(限界収入:MR、限界費用:MC)
利潤(profit)=収入(revenue)-費用(cost)
このシンプルな発想だけで十分です。
一部、聞きなれない言葉がでましたが、忘れてください。
食べた以上に運動すればヤセル。以下であれば太る。これだけのことです。「そこに個性があればいいですね。」ってことだと理解しています。
だれも未だ想像しない世界で仕事をしろって発想は稀有なことです。
これらの論文が本になって沢山読まれているようですが、気付くことを忘れかけている人が夢を追いかける本に夢中になる図式がおかしくもあります。
私なら、これに付け加えて地中海のコルドンブルー(紺碧の海)まで付け加えてみたいですね。想像外の発想とかの意味合いでね。
この手の話題は不向きのようです。やっぱりマイスターだからでしょうか?
赤と青と夢をイメージしてください。一部で話題になっています。

  • 2008年12月17日(水)00時12分

アカギ

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昭和33年夏
どんなときでも
ゆれない心
そして自分の判断を信じる才能
それがアカギなんだ
映画 主演 柏原崇(かしわばらたかし)カッシー
「アカギシゲル」漫画
マンガをたまに読みます。

自分が変わらなければ会社はかわらない。私が変わらなければ私に接してくれている人たちも変わらない。変わらなくていいことはそのままに。
せっかくブログを見てくれている方が少しだけいらっしゃるようなので、少しずつ気持ちを伝えていけたらいいですね。(^^)
マンガと小説のちがい
想像できる面白さは小説ですが、想像をしなくても視覚的に入り込める面白さはマンガです。考える力が少なくて同様な楽しみ方ができるのが、マンガの良さで時代にマッチしているように思います。たくさんの文字から想像して楽しめる方は絶対的に小説です。(文字)だけの良さと(少量の文字+絵)が好みなのかはそれぞれです。オトナになったらマンガが読めないのは偏見です。それよりマンガも小説もその作り手におうものが大きいと考えます。作者の気持ちが、どのくらい読者に伝わるかが感動につながります。
ゲーム時代のハードなマンガ表現は私の範疇外ですのでここでは問いません。
興味を持つのは精神的面白さか、物語的な楽しみか、綺麗な言葉の流れとリズムです。いろんな楽しみ方がありますが、できたら楽しめる環境があればいいですね。
話し相手がいるということです。

  • 2008年12月16日(火)00時12分

持つべきものは友達

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年末の12月20日にホールインワン記念コンペがあります。私ではないですTさんです。海外のSIAM、C,Cオールドコース・12番ホールでホールインワンをしたようです。当初、「欠席」で出していたのですが、景品を買っているので出てくれって言われたので急遽「出席」にしました。何度も一緒にまわっているのですが、気持ちはナイーブでちょっとシャイな、見た目坊主頭の厳ついオトコです。Tさんは納税額5億らしい?下品な話です。そのわりには質素な生活をしています。過日、ほとんど、今は行かないフィリピンパブにTさんとGさんと行った時に、私が指名していた子がフィリピンに帰るので、社交辞令で「それは寂しいネ」って言ったら、それを聞いていたTとGさんは、私が悲しんで「憂いている」ってことでマニラゴルフツアーを計画してくれました。それに賛同してくれた人が8名でした。全てが経営者でした。知らないのは私だけで、その参加申し込みに「不参加」で返信をしました。ツアーの前日、夕方にGさんが当社に来社され、「あんたの為に企画して各会社のオーナーがあんたが悲しんでいるのは忍びない、ということで賛同者が8名になったので、ここで主賓のあんたが行かないのはおかしい、それにことわれんじゃろ」と説得に来られました。夕方だったので用意も何もしていない金もない、あるのはゴルフバックだけ、明日の早朝からバスで出発と聞かされ滅入るだけ、行って3日間ゴルフだけして帰りました。それから、数度、主賓が欠席のマニラゴルフツアーが有ったようです。持つべきものは友達でしょうか?疑問です。(笑)

霞GC44風邪引きそう。

  • 2008年12月15日(月)00時12分

絵詞(アポリア)

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水きりしていけたバラの花もつぼみだったのが三日目にして、そのはなやかな花びらも人生の思案にふけ入ってしまった。あまりにも短い花の命に虚実のうらおもてをかいま見た気がした。うなだれた花びらは見るにしのびない。あまりにもあわれだ。あれほど、ほこらしく、さきほこっていたのは、いっ時のまぼろしだったのだろうか。これから、さきほこるだろう花をいけるのは楽しみがよい。でも、水々しさを失ってしまった花は、どうしてよいのやら、手をさしのべるのさえいたいげである。花瓶にいける花は、二度と花びらをつけない一度だけの美しさである。だから、よけいその花びらが いとおしく美しいのかもしれない。土にさく花は、光の流れによって再びさくだろう花である。そこには、美しさに加えて新しい生命の予感を秘めているたくましささえある。どちらが美しいかと言えば、はかなさと うらおもてにある花。いたいげな花の方かもしれない。すぐにおいて行く事など、たとえ知っていたとしても口びるかみしめ、そんなかけらなど見せず、はつらつと元気いっぱいに、さきほこっている花は美しい。ほんとうに美しいものだ。少しずつ水をすい上げられなくなって、水々しさを少しかいて来ても、それを口にするのが、こわくて震えている様にさえ思えて来る。おいて行く時には「あと私の事を、お願いしますよ」って言いたげに、花びらはうなだれて、重々しく首を下げる。それでも短い一生を、せいいっぱい生きましたよ、もうくいはありません と僕に語りかけてくる様だ。うなだれた花びらから気のせいか夜つゆが、光りながら落ちて行ったような気がする。それは ひとすじの涙がこぼれ落ちたのかもしれない。いつも花をいけている人は、そんな花のはかなさに気付く時を失っているのかもしれない。しばらくの間、花をいける手を休め、静かに花に付いて考えてみる時を持ってもよいのではないでしょうか。美しさに あわれがひそむ ある花の話し。

絵詩はかけません絵詞です。絵にしたいことばです。

                紫雲 英児
追って書き
アポリア:「道がないこと」の意味 何かを問う場合に出会う難関・窮地。哲学的難題または問題の中の一見解明できそうにない行き詰まりのこと。
明日はT、G、Uさんと霞GC

  • 2008年12月14日(日)00時12分

贈り物

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やさしくて傷つきやすい人<敗北者・ルーザー>が結局は<勝利者・ウィナー>になるんです。

人生をあるがままに受け取っていて、右を見たり左を見たりはしますが、前や後は見ません。

人は時が過ぎていくのを味わう暇がないんです。一分一分は贈り物として捉えられるもの。
           「愛と同じくらい孤独」フランソワーズ・サガン

時間の経過が早すぎるように感じます。したいことがだんだん遠のくように感じています。年と共に動作が緩慢になっていくのか、時間の速度が加速度的に変化しているのか不思議に思います。残された時間を有効に使いたいのだけど、そのようにはいかないようです。洗濯やご飯の用意や掃除をセッセとこなして残った時間をテレビに取られます。洗濯も上手になりました。そして、寝る前に少しばかり本を読みます。本を読むときに気に入った文章に線を引きながら読みます。どの本の引用か分からないけど、気が付いたら本の一節を自分の言葉のように使っていることがよくあります。過去から今まで、輝きを失わない古典的な本に全て目を通してみたいと思っていますが、それもままなりません。そして携帯で目覚ましセットをして一日が終了です。
京都と大阪に行ってきたので今日はよく眠れそうです。

  • 2008年12月13日(土)00時12分

ガラパゴス化

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製造業の「ガラパゴス化」という単語が気になっています。日本は資源の乏しい国です。原材料を輸入に頼って、手を加えて製品にして輸出をしている国ですが、気が付いたら島国であるからか独自の進化をしてきたようです。高い技術力と生産性で世界が望む以上のハイクラス、ハイレベルな物づくりに向かっているようです。世界が求める物、私たちが求めるものは、おおむね同じ感覚のように感じます。たとえば、携帯電話は機能の一部しか使いこなせません。パソコンでもそうです。車の機能だってそう思います。技術レベルは世界でも最高峰であることは認めますが、世界が望んでいる物を作っているのかの問いかけには、少しずれて来ているように感じます。そこそこのレベルで良いので、使いやすくて安価なものが魅力的に感じるのは私だけでしょうか?携帯の機能の充実も良いですが、ただ単に、字が大きいだけの方が私には嬉しいです。見えなければ機能まではたどり着きません。入り口が間違いなら出口は大間違いです。過剰品質は必要なのでしょうか?なにもかもマニュアル化されて、個々の会社の技術までが、対策書として大手メーカーに流れます。その情報が中国などの工場に流出します。過度の社内ノウハウはメーカーが求めても、提出しないことが望ましいと考えます。
学生の時、工業技術院で卒論を書きましたが、メルドック(盲導犬ロボット)やファジー理論や電気刺激や義手の制御を見てきました。義手の制御が論文のテーマでしたが、きっと個人名で検索できると思います。その時の思いが今の時代に生かされているのだと思われることは多々あります。人の考え方って無限の広がりを感じます。どんな場合でも気持ちが大切であることには間違いないことだと考えます。工学的とか文学的とかの言葉の区別はありますが、同じところにたどり着くようです。詩を読むとプログラムのフローチャートが描けます。変な性格です。音に気付き、色に気付き、形に気付き、変化を受け取れる感性がほしいものです。何も気付かないは 相手の気持ちも分からないことにつながります。気持ちの独自の進化を憂いても仕方ありませんが、何かの気付きが足らないように感じるのは私だけでしょうか?

追って書き
憂い(うれい):思うようにならずつらい
It is a forgotten special day today.

  • 2008年12月12日(金)00時12分

孤独感

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行為の理由を聞こうともしなかった。下等な悪罵に黙って頭を垂れていなくてはならなかった。私自身のみじめさが耐え難かった。可等な人間のように扱われた事が、私の自尊心を滅茶々々にしてしまった。私は、この屈辱を誰にも言わなかった。私ひとりの心の中で時の経過とともに消滅して行くことを望んでいたが、いつまで経っても消え去ることなく、小さな固いしこりとなって生涯残ることになった。おそらくは誰しもこれに似た苦難や屈辱の記憶を十も二十も心の中に秘めかくしたまま、そうした絶望を乗り越えて長い生涯を生きて行くことであろう。私たちにそのように屈辱や絶望を与えた相手の方はみんな忘れている。そんなことはみんな忘れ去って思い出すことも無かったに違いない。被害者だけが心の奥ふかく、その時の痛みを刻みつけていて、耐え忍び、ひとりでその事と闘いながら生きて行く。誰にも知られない、誰も気がつかない、たったひとり切りの悲劇なのだ。我慢するという状態は心の不幸な状態だ。我慢のつづくかぎり不幸は継続する。その事が精神を蝕んで行く。勉強に対して熱意をうしなったり、友達に対して冷淡になったり、親たちや、兄弟たちにとげとげしくなったりしたことも有ったかもしれない。
 私は独りになってみたい気持ちを持っていたが、あるものは孤独ではなくて孤独感であった。
             「私ひとりの私」石川達三

だれにでもある心の中に秘めている気持ちの代弁者が石川達三のように感じます。
でもこんな繊細な気持ちの持ち主は普段は意外と陽気で明るかったりします。それは、人の気持ちが理解できるからだと思っています。それは貴方自身を振り返ればわかるでしょう。(^-^*)

追って書き
悪罵:(あくば)ひどくののしること

  • 2008年12月11日(木)00時12分

ニヒリズム

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憎しみを持っているということは、自分自身を壊しつづけているということです。
精神的にも肉体的にも、さまざまな形で表れてきます。人の体は、気持ちというファクターで病気に打ち勝とうとする浄化作用を持っています。反対もあります。
医学で直らないものが、宗教で直ったりします。私は基本的には無神論者ですが、精神の崇高さは認めています。イエス・キリストを殺したとされるニーチェも、もともとは敬謙なクリスチャンでした。でも、ある時に人間を弱くしているのは、神の存在ではないかと気付きました。人は困ったときには「助けて、おかあちゃん」と言うようです。「助けて、神様」でも同じです。神が必要とされるときは、人が困ったときです。困っていなかったら、神もおかあちゃんも必要がないということです。それならば、神とおかあちゃんに頼る人間は弱い存在で自らの問題解決を放棄した人となります。では、神とおかあちゃんは人を弱くする存在となります。したがってニーチェのいう神は人を弱くする存在だから要らないと説いたのでイエスを殺したと言われます。気持ちが、ゆるがないならば、神はいりません。ストロングメン(Strong men)には神は必要がない存在です。
そう、鉄人の哲学です。
抑圧されたエネルギーをそのまま相手に返す事は、人間として一番愚かなことだと思います。
能動的ニヒリズムの考え方では、受けたダメージのエネルギーを、その時は、いったん心の奥にしまっておいて、心の中で浄化してから、その行き場の無い気持ちを、正しいエネルギーとして、仕事やスポーツや趣味に発散できるように心掛ける。
気持ちの切り替えと浄化システムを作りましょう。知人から1000ポンドの馬をコントロールしようと考えることは大変難しい。しかしながら、1ポンドの考え方をつかさどる頭をコントロールすることは、比較的容易いと聞く。
負のエネルギーは正のエネルギーに変えて、気持ちの良い発散をしなければなりません。
宗教と信仰の自由を問うものではありません。個人的におすすめは、人より少しだけ多めなガンコです。気持ちがぶれない心掛けです。
人はいくつかの十字架を背負って生きています。たまにその重さに耐えられなく思える時があります。なぜ私だけがこんな思いをしなければいけないのって思っていたら、気持ちの持ちようで、意外と楽に考えられることってありますよね。
年末に向けて何かと気ぜわしいことと思いますが、気持ちが楽になる明るい性格を継続しましょう。明るい性格のふりでもいいですね。

追って書き
Strong person とmanは(人)です。men(男性)ですが、menを使用しました。
能動的ニヒリズム:元気よくくらいの位置付けです。受動的ニヒリズム:仏教とか精神の権力の衰退と後退みたいな複雑なことは問いません。少しおだやかにくらいの感覚です。

  • 2008年12月10日(水)00時12分

思い出される笑顔

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学生時代に出会った、東京の小岩に住んでいる無二の親友がいます。いくら月日が経っても電話で話すと、昨日に続く今日のように気持ちがつながります。
学生の時、私はそこの下町の家に行くのが楽しみでした。行くと必ず、たくさんのご馳走をしてくれるからです。初めて納豆を食べたのも、そこの家でした。みごと全身にジンマシンが出ましたが、美味しかったので、またチャレンジして克服しました。お風呂は五右衛門風呂でした。木のサナ(直接触れると火傷するため、木製の底板)を沈めながら入った覚えがあります。昭和40年代には普通の風景でした。下町の情緒が思い出されます。彼は、いまだに気持ちが、やたら純真な男で時代に翻弄されて生きているようです。そこのお父さんは銀行の支店長で(きっと小さなイメージ)食卓を囲みながらこんな話をしてくれました。「お酒が飲める人はいいんだ。なにも気を使わないで、お酒が飲めない人がスナックに2時間いる辛さを理解できる男にならんといけない。」と教えてくれたそのお父さんは癌で亡くなったそうです。
その友達とは何十年も会っていません。たまに声は聞きます。会うことが無いかもしれませんが、なつかしく、若い笑顔のまま思い出されます。この前、彼に、彼女のフィリピーナのことで相談を受けましたが、純粋な彼には真実の回答は出来ないまま、「君が思ったようにすれば、僕はいいと思うよ」って、言ってしまいました。あきらかに間違った解答でしたが、それしか言えませんでした。せつない気持ちだけが残りました。
会うことも無い人の顔がやけになつかしいのは年のせいでしょうか。時代のせいでしょうか。
会ってはみたいけど、もう二度と会えない人の顔が思い出される時には、記憶の中にある顔はきまって笑顔なんですよね。 (*^^*)(>_<)


It is a special day for me today. I had a wonderful day. I wish to express my gratitude to the god.

  • 2008年12月09日(火)00時12分

モンキー・D・ルフィ

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「海賊王に俺はなる」麦わらのルフィの口癖です。そうワンピースです。
でっかい夢と信念を持って描かれているものにひかれるのだと思います。
性格はいたって自由。自分の気持ちに従ってのみ行動する。打算や欲得とは無縁の性格で、正直で仲間を大切にする心が不思議な人間的魅力になっています。
料理人のサンジが 目指す伝説の海「オールブルー」やDr.ヒルルクが研究して夢見ていたヒルルクの桜が思い出されます。
モンキー・D・ルフィやサンジ そしてヒルルクの夢は 我々に共感を与えます。
夢に向かって思う大きさと気持ちの深さが 夢に到達できる時間と到達出来た時の大きさに比例しているように思います。
決して あきらめないことと、思いつづける事が 何より大切な事のようです。
少し不思議なのは ロロノア・ゾロの三刀流、1本の刀は口にくわえる。どーやってつかうんだって疑問です。でも カッコいいから いいんでしょうね。
次の言葉も好きです。「この帽子をお前に預ける、いつかきっと返しに来い。立派な海賊になってな」赤髪のシヤンクスの言葉です。
「ひとつなぎの大秘宝・ワンピース」を求めて誰もが夢を描くのでしょうね。
「次に会うときは 高みで会おう」
(*^o^)/

昨日霞GCにTさんとGさんと行きました。ゴルフに興味が無かったのが、こうして継続できるのは健康管理も兼ねて良かったと思っています。ウエストも83になってメタボでなくなったし、スコアも40~45(ハーフ)くらいでまわれるようになったので散歩には良いです。始めるきっかけの時に周りにゴルフをしていた人がいたことが幸いだったと感謝しています。ヘタな時に励ましてくれる人がいるということはとても大切なことのように思います。今、私がその役をしています。

  • 2008年12月08日(月)00時12分

インプリンティング

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見送る時間、回顧的な思いです。こころに残る風景があります。それは見送ってもらって帰っている時の風景です。相手が大切な人の場合、見送ってくれる時間は、相手が見えなくなるまでです。気持ちが薄くなると、見送りは途中でいなくなります。たいしたことはない光景ですが、こころに残ります。そんなところで気持ちの尺度をはかってみてもいけないことなのですが、こころに深く刻まれます。なにげないことに本当がみえるからなのでしょうね。
途中で見えなくなると少し落胆します。いつまでも見送ってもらうと、こころにしみます。
その瞬間の光景を心が刻みます。
会社でもお客様が見えなくなるまで見送りなさいと言います。たいした時間はかからないのだからと。心にその風景を刻んでほしいと思うからです。
意外とバックミラーに写った景色って、瞬間的に見るので気持ちと一緒に、心にインプリンティングされます。(^_-)


AngeliqueでM水松、M仁科氏に偶然会った、なつかしかった。楽しかった。

  • 2008年12月07日(日)00時12分

ぷーちゃんから学んだこと(dog)

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夜中に帰ってくると、かならす出迎えてくれます。無視するとどこかにいきます。少し胴の長いトイプードルです。名前は「ぷーちゃん」、いればまとわりついて、うっとうしいけれど、いなければ心配で探したりします。たまに何を考えているのだろうかって思うことがあります。考えることはできないと言いきれない行動を目にします。イタズラをして怒られると思ったときは近づきません。呼ぶと頭を下げて低姿勢で上目遣いに近づいてきます。しゃべれないのに幾つかの単語に反応します。教えれば簡単に覚えます。あいぐるしい目をしてみつめます。
なぜ、犬は感情を表すことができるのかを、考えてみました。暇人?
うったえるような目、せつないような瞳、嬉しさいっぱいの表情、何故、そんなことを感じるのだろうって、本犬(本人)を呼んで今の気持ちを聞いてみました。毛むくじゃらの無表情でした。いくら見ても表情豊かな顔には見えません。でもこの前はせつない表情だったよなって思ったりしました。その時のことを思い返すと、やっぱりせつない表情でした。それは私が切なかったからです。そうなんです。犬って接した人の気持ちを写す鏡なんですよね。(^-^)v

日曜日に約2時間の散歩に行きます。さむいかなぁ

  • 2008年12月06日(土)00時12分

喧嘩

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やけに勇ましいタイトルになりました。ケンカはよくします。でもいつも負けてばかりです。勝てたことはありません。負けることにも慣れました。自分自身には勝てません。そこにはいつも身勝手な自分自身がいます。表面上おだやかで良い人なのですが、良い人であろうとすればするほど、自分から遠ざかっていくようです。ですから自らを営業ではなくて職人と説明をします。
マイスターと書けば格好がいいですが、あえて日本語で職人という言葉が好きです。
同じことの繰り返しを苦にならずにできる職人でありたいと願っているからです。仕事での職人であって、人生での職人です。ここに残したいのはこの職人の気持ちです。
職人のライバルは自分自身です。人とケンカをしたことはありません。大学時代の友達はそれならお前の鼻の骨が折れた理由を書けとか、左脇の傷を説明しろっていわれるかもしれませんが、そんな昔の話は忘れました。学生のとき、医者に風邪引きで行って鼻の骨の折れているのに気が付きました、その時に先生が「おまえ男でよかったなあ」って言ってくれました。妙に納得して「先生治療は?」って聞いたけど、「ほっときゃ直る」って言われた覚えがあります。先生の言われた「おまえ男でよかったなあ」って言葉に説得力があって、いままでその先生の言葉を一度も疑ったことはありません。人を納得させるってこういうことをいうのだと思いました。
争うことを考えてみるときに、「あなたは老人や子供とケンカになりますか?」って聞きます。そうすると「ケンカにはなりません」と答えが返ってきます。ではケンカになるときには、自分と同等くらいと認めた時に、ケンカになります。いつでも自分と同等と思わなければ争そい事はおきません。自分以外はみんな老人と子供と思ってください。
老人や子供、弱いものをまもること、また、大切な人をまもることが何より優先です。
まもる人がいない場合には無敵です。 (*^o^)/\(^-^*)

  • 2008年12月05日(金)00時12分

自分のほしいもの

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人間は無限の知恵があるから、世の中がいくら悪いからと言っても対応できないことはないと思います。無人島で、アナリストが一番ほしい情報はというと、スクラップと答えたという。世の中の流れの一番先を走っているようです。誰も経験したことのない世界に突入です。
情報が多い中で情報が足りません。
自分自身にあった情報が少なすぎます。自分の気持ちにぴったりの言葉が見つからないんです。多すぎる情報は戸惑うばかりです。テレビで、どのチェンネルを回しても、金太郎飴みたいな情報の渦です。伝えてくれることが多すぎて、何を信じていいのか分からなくなります。気が付いたら自分で考えることを辞めた自分がぽつりとそこにいます。
なにか言ってくれないと何も出来ない自分がそこにいます。薬のビンの裏側を見て、効能書きがすばらしかったら、とても良く効く気がします。コンサートのチケットをもらって、紹介欄にみんなが褒めていたら、音楽を聴く前に納得してしまう自分がそこにいます。
本当の自分が望むものが、自分自身でみつけられないように思います。何故なんでしょうね。きっと沢山の情報に埋もれて生活することに慣れてしまっているのですね。だから自分のほしいものが見つからないのです。

  • 2008年12月04日(木)00時12分

言いわけ

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優しい言葉遣いを心掛ける。
中途半端は学識を持った人は、やたらとカタカナを使う、本当に言葉を知っている人は優しい言葉で相手に気持ちを伝えることができる。
本来、そう思っているのですが、言葉が多すぎて言葉が足りません。私の悪いところです。しかたないから下の余白に言葉の説明をしたりします。できるだけ省略したいと考えています。理工系で生活して来たせいか、「思う」と「考える」とを意識します。「思う」は、ただの感想にすぎず、「考える」という主観的な言葉遣いでないと論文が通らなかった習慣があります。自分が工学的な勉強を7年間してきたことから、自分の範疇外(カテゴリー外)の文学や芸術、音楽について自分は劣っているという意識から興味を持っています。
でも、たまに連絡をくれる人は私の文学的な話が面白いようです。

ゴルフのインターロッキングは石川遼がしているからと思っても、アマチュアで基本を変えることはダメージにつながることを学習しました。なれないことはダメですね。反省
もとのオーバーラッピング・グリップに戻しました。きっとこれで良いはず。
ゴルフというより散歩なのです。いくらのスコアではなくて、どのくらい歩くことができたかを問うのですよね。3年前はウエストが90台ですが、今は80台です。右ヒザが悪かったのが直りました。なにより嬉しいのは散歩から帰ってきたら疲れて寝ていたのが、寝なくても平気になりました。人って変われるものなのですネ。経費3,000円だし。

  • 2008年12月03日(水)00時12分
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